#Old 2021

最初

#20221231

2022年の振り返り


2022年の目標はパーソナルワークの完成度をあげるだった。

目標ってどこかに書い、いつも見えるようにしておかないと、すぐ忘れちゃうな。

https://www.wadashinobu.com/2022jan#h.ngcsffezhvp0

今年の最初の前半は本を書いていて。 

それと同時に家族にもいろいろあり。本の修正やらバタバタして演劇の発表会直前に、演劇のコースを休むことになったのは結構残念だった。(9月から再開した)

「こんな本を書いて、誰が見るんだろう?」と、疑心暗鬼になりながら、ひとりで書くのは結構煮詰まる作業だった。

と同時に、自分の周りの人のことを書くこと、誰かについてことを書くことに、対して「本当にいいのだろうか?」とたくさん考えた。その結論はまだ出ていなくて。正直、書くことに対して臆病になった。

6月に本が出る直前のタイミング。ここから本を見てくれる人が多くて嬉しかった。

と同時に。普段、自分が日本で生活していないことのありがたさも感じた。ネットの中の事はネットの中のことで、それ以上でもそれ以下でもないんだなあと

もし自分がツイートで知ってるような人たちとリアルでもやり取りするような生活をしていたら、メンタルやられそうだなーと思った。ネットとリアルが全然別の場所にあることのありがたみを感じ。やっぱり見てると引きずられるよなって。

6月に本が出て。

とか本を知ってもらおうと思ったものの、何をしていいのかわからず迷走。インスタライブを頑張ってみたりもした。効果があったのかはよくわからない。(見てくれた人、ありがとうございました。)

本が出た後、お絵かき会の人たちの温かい言葉が本当に嬉しかった。あと、リアルのつながり(家族や。地元の人たち)に自分のやっていることがオープンになるというのは、なかなか無い経験だった。本気でペンネームにすればよかった…と、何度も思った。

7月

自分のしていることは何も変わっていないのに、いろんな変化に追い着けていなかった時期。自分のキャパシティの狭さを感じた。何事も経験してみないとわからないことがあるんだなあ。今見ると大きなことは何も起こっていないのに、自分で大変になってたな。

夏休みはコミティア用の本を書いた。思いつかなくて、結構大変だった。今見るとなんだか不思議なお話だから、もうどこにも載せないと思うけど。描けて良かった。

 8月末に3年ぶりに帰国。オンラインでしか会ったことがない人達にたくさん初めて会うことができて嬉しかった。

コミティアに参加できたのも良かった。たまにオンラインで会話をする人や、ツイートしか知らなかったり、オンライン上でしかやりとりはしない人たちが本当にその場にいて。かなり嬉しかった。

夏が終わってから。地元の中国新聞で連載をさせてもらうことになった。お母さんが喜んでる。来年も少し続く。10月11月12月も。なんやかんやとお仕事があり。

漫画のコースも始まった。

漫画のコースは思ったよりも、来てくれた子どもたちの年齢が低かったので手探り。十回なんとか。来年は大人コースもある予定だけど、人が来てくれるといいな。それに来てくれる人を増やしたくて、今インスタでずっと漫画っぽい絵を描いてる。どうなるだろう?

12月

9月から復帰した演劇コースの発表会で朗読劇。1回目はメタメタに失敗し、2回目はうまくいった。イタリア語うまくなってないけど、演劇のコースは楽しい。

いろいろ落ち着いて。今後のことを考えたり。まあ、結構悩んでいた。友だちに話して、ぐちって、相談して。いつも、「ちょっと聞いてよ」と、話せる相手がいることに感謝している。

多くの人が、私の背中を押してくれたように、私も大丈夫だよ、何とかなるよと人の背中を押せる人でありますように。

今年、出会えた人も、出会えなかった人も、すべての人に感謝を込めて。よいお年を


#20221212

悩みの多かった11月を抜け、12月は作品作りにあてようと思っている。ということで、暇を作った。

自分の好きだったものが思い出せなくなったので、昔好きだったものを見返している。

お菓子とか間食しちゃうのが問題


#20221209

本当なら今日はウフィツィ美術館に行っているはずだった。午後からはピッティ宮殿。雨が降るから嫌だねとか言いながら、フィレンツェの街をウロウロしている予定だった。

が、昨日も今日も家に居る。

12月8日はキリスト教の祝日で、学校は休み。イタリアの学校では、木曜日が休みになるとポンテ(橋)と呼ばれる、金曜も繋がった連休になることがある。それで、今週は四連休だったのだ。

せっかくだからと旅行の計画を立て、ホテルや美術館を予約していた。「どこの駐車場に停めるのがいいのかなあ」なんて、前日まで話していたんだけど。

出発の朝になって熱が出て、すべての予定がキャンセルになってしまった。仕方ない。まあ出発してから調子が悪くなるよりは、行く前だった方が良いだろうと、自分に言い聞かせた。

それにしても、いつの間にか、諦めることもうまくなったもんだ。また別の機会を作ればいいだけだって、思えるようになってる。

そんなわけで、昨日は一日、なんだか何も手につかない日を過した。今日もそれに続く、中休みの空白のような一日を過ごしている。

あ、それでも昨日はサツマイモを買いに、リュックを背負ってちょっと離れた市場まで行った。(さつまいもは、アジア系のお店にしか売ってないから、うちの近所にはないのだ。)八本のさつまいもを買ったのが、昨日のメインイベントだった。

今日は一日、今年のことを振り返ったり、これからどうしようかなみたいなことを考えている日だった。

わたしにはこんな日が必要だったのかもしれないなあという気になっている。

そういえば3巻出てるよ。相変わらず面白い。

https://amzn.to/3VZQQnw

#20221122

島と原付

20代の頃、仕事の都合で半年間、週に半分だけ島で暮らしたことがある。 

 

「週に半分だけ」というところから推測できるように、そんなに遠くの島ではなかった。広島からフェリーでだいたい一時間、高速艇だと30分の距離にある島だった。高校の同級生の中には、その島から通学してくる子たちもたくさんいた。 

 

その島は生活に必要なものは何でもあって、田舎の市のサイズ感だった。ショッピングセンターはないけど、小さめのイオンならある規模感。生活に困ることは何もない。ただ、海に囲まれているから、ちょっと物価が高い。そんな感じの場所だった。 

 

仕事先は中学校だった。 

 

知人に紹介され「なんとなく面白そう」と思って飛びついた仕事だったのだけど、ちょっと事務員たまに先生といった、中途半端な役職だった。HPの更新や、書肆の編纂を言い訳に、いつも理科準備室にこもっていたので、掃除の指導をするときくらいが学校らしさを感じる時間だった。 

 

職員室では腫れ物に触るようなお客さん扱いで、私もその状態に甘えて、誰ともあまり関わらずにいた。中学生は怖かったし、先生たちはもっと怖かった。ちゃんとしていない自分と比べると、誰もがちゃんとしすぎているように感じて、学校の中ではいつも縮こまっていた。 


半年でいなくなる私のそんな態度を注意する人もいない、本当に宙ぶらりんな状態だった。この仕事が終わった半年後には、何をするのか?そんなことは怖くて考えられなかった。「なんとかなるだろう」の先に何があるかは、誰も教えてくれない。 

 

島の生活用に2階建ての職員用アパートを借りた。入ったら食卓をおけるサイズの台所、その奥にガラスの障子で仕切られた6畳の畳間。あとは風呂とトイレ。 

 

週の半分しか使わないので、最低限の家具しかなく、炊飯器もなかった。それなのに、引越しの時に母からデロンギのパネルヒーターを買ってもらった。外国の屋根裏部屋みたいな、パネルヒーターのある生活への憧れを実現したのだ。 

 

密閉性の低いそのアパートでデロンギは全く活躍できず、その後、こたつを買うことになるんだけど。初めて実家から出る私は、パネルヒーターが、私の理想とするオシャレな生活に近づけてくれると思っていた。 

 

その職員アパートには20代から30代の男女が数人いて、わいわいやってもよさそうなものだが、そんなことも特になかった。隣室の女性とだけは仲良くなり、たまにピザを食べに連れて行ってもらったりしたが、他の人とはずっと疎遠のままだった。 

仕事の思い出も、人付き合いの思い出も、ほとんどないのに、原付で走った島の道は鮮やかに覚えている。  原付のエンジンをかけゆっくりとフェリーを降り、海沿いの道を家に向かって加速する。それが好きだった。


  島に行くのはいつも夜なので、道はだいたい暗かった。  片側の冬の海は真っ黒で、誰もいない緩やかな坂道の続く県道。その時間には閉店しているうどん屋の看板、ポツンとある自動販売機の光。そんなところを大声で歌いながら原付に乗って帰るのが好きだった。誰もいない家に着く寂しさも新鮮だった。


  今、振り返ると。あの場所で原付に乗っていた私はどうしようもなく自由だった。過去も責任もなかったし、こうなりたいという希望も、選択肢もなかった。不安だけは、たくさん持っていた。そして、私は自分が自由だと知っていた。  あの時より、過去も責任も増えたけど、あの夜に感じた自由のきらめきみたいなものは、今でもずっと自分の中にあると思う。


おわり

#20221031

10月の終わり。

来月からいろいろ決めてやってみようと思う。



#20221012

一日のうちに何が起こるか本当に分からないなーとたまに思うような日がある。

オンラインサロンが趣味で、いろんなところに入った。「普段の生活で縁のない人たちと知り合いたいな。」と思う気持ちが、オンラインサロンに私を向かわせているのだと思う。机に座ってばかりの日常だから。

それでまあ、昨日縁があってお話をすることがあった。あとから、調子に乗って色々話しすぎたなぁと、ちょっと反省したりしている。もう少し賢そうな話をすればよかった。

noteでやっていた。個人的なハックは、有料化だった。

「こういうことってなかなか伝わりにくいし、誤解されたらいやだな」と思うようなこと。でも、なんか言いたく(書きたくなる時)とりあえず、書いて、どんどん有料にしていた。

有料にするとほとんどの人は読まない。

有料を読んでもらうために引きをつくることもしない。「このあと面白そうなことがありますよ」と言うのはやらない。

書いたことによって、自分が満足する。有料にしたノートはその後、誰にも読まれないまま置いておく。数日か数ヶ月も経てば読み直してみれば、「あーこんなこと考えてたな」と削除して、すっきり終われる。

おすすめ

子に影響されてSHEINでよく服を見るようになった。

キノコ柄のセーターがかわいいなあと思って見ていてたら。レビューに「yarichin」「これにカツラもつけてヤリチンのゆりのコスプレができます」とかの書き込み。これをでみんなヤリチンビッチ部思い出すんだ!と、世界に広がるヤリチンビッチ部を感じた。

#20221010

祝日関係ない普通の月曜日。

仕事とは関係なくやらなきゃいけないことはいくつかあるんだけど。どうにもやる気が起きない。

コミティア用に描いた漫画を電子書籍化しようと思っていたんだけど。やっぱり直したいところがいくつか出てきてしまって。それに手を付け始めたら?全然進まない。

以前cakesで連載していたものもまとめて電子書籍にしたいんだけど。見直すとやっぱり拙く、直したいところが色々あって…と直し始めると終わらなくて、今に至る。完成したら読んでほしいなぁ。

「完璧主義を捨てて、どんどん発表しなさい」という、漫画を描き始めてから、何度も何度も見かけるあのセリフを、頭の中で繰り返している。

SKILLSHAREというオンラインコースがたくさんあるサブスクに入ってい。そこで、水彩のチュートリアルを見た。

マスキングフルイドと呼ばれる。マスキングリキッドメディウム。を使った絵の描き方が流れてきたので、それをやり始めた水彩、最近描いてなかったので久しぶり。

チュートリアルを見るのは結構大事だなと思っていて。

自分だけのやり方でやっていると行き詰るというか、発見がなくなる。定期的に新しかったり、新しくなかったりするものでも取り入れないとまずいなと思ってい。なんでも違うやり方を試してみるのは大事だなあと思う。

水彩のお仕事待ってます。

中国新聞の連載が始まった。

本は一番コスパの良い娯楽。」という説に強くうなずいているんだけど

子どもが小さく、仕事をしていなく、主婦で自分のお金をなかなか使いにくかった時。日本に帰って一番楽しみだった場所ブックオフだった。

そこで買うのは漫画ではなく、いつも文庫本だった。

なぜかというと、マンガは1時間で1冊以上読めるけど、活字はもっと時間をかけられるからだ。没頭できる時間に換算すると、本のほうが断然よかったのだ

学生の時と、子どもが生まれてすぐの頃。お金が無かったときはいつも、100円の文庫本ばかり探していた。

13-15年前で、今みたいに電子書籍もなかったとき。日本から帰るときは嵩張らない(と言っても重いけど)文庫本ばかりを山のように買って帰っていた。

ジャンルとして一番よく読んでいたのはエッセイだった。

小説を読むには疲れすぎていたし。エッセイの他人の暮らしをちょっとだけ感じるような文章が一番私に合っていた。吉本ばななさんの日記、平松洋子さんの食べ物の話、大平一枝さんの生活のこと。有元葉子さん、内田春菊さん(これはマンガ)、さくらももこさん、名前を上げればきりがない。

いま、まわりまわって、自分が文章とイラストを描いてどこかに載せてもらsるようになった。何度も何度も読んだあの本たちの影響があるのかなあと思う。

あの時の「はあ、疲れて何もしたくないけど、この本を読んでいる間はひとりだし、自由。」みたいな気持ち。今も残っている。

今は、すごく漫画を読んでるから、次の5年ぐらいで、漫画を描くことも増えるといいな。

気づいたけど、私の場合なんでも、5年くらいは下積みみたいな時間がいるんだな。。。効率の悪さよ・・

「夫婦の世界」(韓国ドラマ)のキム・ヨンミンに夢中です。

#20221004

久々にpodcastの録音をしようと思ったら、マイクと夏前に買ったスマホがうまくつなげなかった。今まで、このスマホで録音したことがなかったんだな。そこに驚く。

OPPOの高くない方のスマホ使っているんだけど、同価格帯のxiaomiの方が機能が良かった気がする。次に買い替えるときはxiamiに戻すと思う。

もっといいもの(=高いもの)を買えば違ったのかもなーと思うけど。ものの価格と機能のバランスというか。このくらいの値段でこのくらいのことができるものって考えている。

それ以上に手を出さないようにしているから、そんなもんだなとも思う。

セーターというものをあまり着ないのに、定期的に欲しくなる。だって、かわいいから。

セーターを着ない理由は、痒くなりやすいからだ。どれだけ気を付けて買っても8割痒い。特にイタリアだと、中に着る厚手の長袖Tシャツがなかなかなくて、化繊のものを着ることが多かったから、化繊xニット。さらにかゆい。

しかし。今年は、H&Mで綿の長袖Tシャツを手に入れた。これでもしかしたら、セーターライフが復活するかもしれない。

着すぎてひじに穴の開いたカーディガン。いろんな色でダーニングしてみたいって、思って保存してあるんだけど。手を付ける気配はない。直してるニットってかわいいよね。つぎはぎへの憧れ。

っていいながら。ユニクロで買って帰ったスヌーピーのトレーナーをこれから5年くらい、穴があくまで着るんだろうなわたしは。

お金が無くてもオシャレはできる!って10代の頃思ってたな。今はおしゃれじゃなくてもいっかってなってるな。オシャレになりたいなー(数千回目)

オシャレ以前だけど、今月は朝晩顔を洗うことにしてみた。1カ月続ける。今4日目。

もう何年も顔を洗ってなかった。で、特に不調を感じたことはなかった。それだけど、習慣を変える意味も込めて、顔を洗って、化粧水・乳液・日焼け止め・ピアスまでする。

オシャレなおばさんになれるか・・オシャレとは?とか、考えない。

#20221003

来週から10代向けのマンガのコースを始める。マンガというよりイラストのコースだけど、縁があってコースを始めることになった。

土曜日、それの生徒を集めるための説明に行った。

イタリアでマンガを習いたいという人はいても、どういう需要があるのかわからない。

参加してくれた人に、どんなマンガが好きなのと聞いたら、

ハイキュー・ナルト・マイヒーローアカデミア・ナナ・東京リベンジャーズ・・・

知ってるけど読んでないのもあるから、買うきっかけになるからうれしい。たくさん生徒来ないかなぁ。と思ってチラシを作る。

その日、質問を受け付けたら面白かった。

「チビの描き方は教えてくれますか?」

チビというのは、デフォルメした二頭身のキャラのことだ。かわいいキャラとしてチビはとても人気がある。二頭身キャラの描き方なんて、習わなくてもできそうだと思うけど。結構知りたい人が多かった。

カワイイは強い。

コースの最終目標は、みんなで同人誌作る。だ。

楽しみ

#20220929

友人たちと話の流れで人付き合いの話になった。

私はちょっとでも苦手だなと思うと、その場から逃げ出す癖がある。「いい加減、いい大人なんだから。少しは我慢しなくちゃ」とたまに思うけど、知らない人のいる場所で、頑張るのがものすごく苦手だ。

自分は、だれかと知り合うのに、なんか作業をしたりして、時間を重ねないと無理なんだなと思うようになってる。

それでも、それが仕事であれば、我慢する。プライベートの付き合いだと、全然我慢できない。よほどの事情がなきかぎり、逃げてしまう。

今ここまで書いて思ったけど、もしかしたら、私自身が我慢しなくていい相手とすべき相手を分けているだけかもしれない。

仕事相手には逆らえない・逆らわないけど、プライベートの相手には好き勝手にやる人間だとしたら、すごくいやな奴だなわたしはという結論になった。

20代の頃仕事がどうしても続けられなくて、すぐ辞めていた。今だったらどうなんだろう。もう少し続くような気もする。あれも逃げていたのだろうか?合わないと感じる場所にいるのがものすごく苦手だ。

家族であっても嫌いになったら、わたしは逃げているのだろうか?

いじられるのがものすごく苦手だ。

昔はこんな自分を、そこが楽しめない、プライド無駄に高いダメな奴って思っていたけど、今はそう思えない。愛があってもなくても、いちいち落とされるのはめんどうだ。

とはいえ、自分だって、人のことをいじってその場で楽しんでいたことが全くないとは言えない。そういうものだと思っていたから。そこの反省もある。

いじってくる相手に対して「私はこう感じる、だからXXしてくれ」という要求もできずに、さっと逃げる方を選んでいる。それをきちんと伝えられる人になりたい(ような気もする。)

窓から見える景色が、スケッチにちょうどいいカフェを発見した。気分転換にこれからはちょくちょく行こうと思う。

#20220927

久々の壁。壁塗り。

ピンクっぽい色だったのを、今度は緑に変えた。グレーっぽい緑のペンキを買ったつもりだったけど、いつものくせで白を混ぜ過ぎたのか、かなり明るいトーンになった。もう少し黄味がかった、グレーみたいな緑が良かったんだけど。この辺のバランスはいつも難しい。一番気に入っているリビングのグレーは三四回塗り直した記憶がある。欲しい色を作るのはとても難しい。あとやっぱり小さなサンプルで全体をイメージするのは難しい。

天井が高いので脚立に乗って作業する。ふと、「これ何歳までできるかな?」と、考えてしまった。

はしごのてっぺんまで登ってペンキをを塗る。50歳までできるか、60だともう危ないかなとか、そんなことを考えていた。年齢とともにできる作業が減って、誰かに頼まなきゃいけなくなるんだろうなあと思う。

嫌だな。

ポルチーニ茸のことを書いたので、ポルチーニが食べたくなって買った。手のひらサイズ3つで11ユーロだった。 22ユーロ/㎏。街中では28ユーロだったから。けっこう安い。一緒に栗も買おうと思っていたのに、買うのを忘れた。そんなもんだ。

栗の食べ方で一番好きなのは圧力鍋で蒸して、それを半分に切ってほじりながら食べるのだ。栗ご飯もとても好きだけど、剥くのはてがしんどい。剥き栗売ってくれないかなと思うけど、そんなものは特にない。ポルチーニはフリット(極細パン粉揚げ)が一番好きだ。

日本の式典の様子が流れてきた。真っ黒いおじいさんたちを見ながら、「本当に女・子どものいる場所がないところだな」と思う。人数に入っていないのが、当たり前。

#20220922

文章を書いている。(今もだけど)

文章を書いている時は音楽を聴くことができない。特に日本語の楽曲。頭の中で言葉がごちゃごちゃになって。文章が書けなくなるのだ。だから、クラシックとか環境音とか聞いてる。

漫画の絵を書く時は全然平気で何でも聞ける。たぶん使っている部分が違うんだろうなーと、こういう時には思う。

twitterで流れてきたこれよかった↓

頭を使う作業を続けると、難しいものが見たくなくなる。だから、そんな時にblドラマやラブコメをついつい見てしまう。

吉本ばななさんがよくお父さんの吉本隆明さんが、2時間もののドラマを好んで見ていたというのを、エッセイに書かれていたけど、それってこういうことなんだろうなとちょっと思う。わたしは、哲学的なことは一切考えてないけどね。

BL小説の表紙っぽい、煌びやかな中年男性の絵が書きたくて。イケオジの練習をしている。イケてるおじさん。イケてるっていう言葉はずっと好きじゃないけど。

とはいえ、いつものイラストのタッチに逃げてしまう。

まぁ簡単に言うと漫画風の線画がうまくないのが原因だ。線が美しくない。だからつい嫌になっていつも描いているようなイラストをに変えてしまう。漫画の絵は本当に難しい。いろいろ憧れはたくさんあるんだけど。それを横に置いても、なかなかうまく書けない。まあ、こういうのは。訓練と慣れみたいなもんだから。たくさん書かないとできい。わかっているけど、すぐ自分のテリトリーに逃げてしまうところがありますね。

モデルは大体の韓国俳優。。

#20220919

イケオジというジャンルというか、イケてるおじさんたちを愛でるというかがあるのは前から知っていた。イケオバはない。(イケオバって語感がお化けみたいですね)

そこで考えると、自分が全くおじさんというキャラクターを描いたことがない。創作の漫画を何度か描こうとしたときもおばさんのことばかり考えていた。仕事で書くもの以外でおじさんは出てこない。

そのことに全く無自覚だった。そしてそのことに驚いた。私の頭の中の世界からおじさんがすっぽり抜けていたのだ。

まあ、もともと夫以外のおじさんとあまり縁がない生活をしている。仕事相手も若い人、上の人、同年代の人、みんな女性だ。

男性アイドルは好きだけど、アイドルのその先40代50代の男性に注目したことがなかった。ちょっと続けて描いてみよう

(他に色々すべきことはあるんだけど、どうしてこういうのって楽しいんだろうね)

#20220918

いつのまにか秋になっていた。

買い物に行った市場でキノコが出ていたのが先週。日差しは弱くなったけど、それでも日中はまだ暑いと思ってた。なのに昨日の朝は栗まで見つけてしまった。これは完全に秋。朝ごはんを食べに行くときも長袖のTシャツで行った。

イタリアの店では綿素材の服を見つけるのが難しい。テロテロした化繊の方が人気あるのだ(フランスから来た友人はフランスには綿素材があると言っていた。近くても違う)それでも、半そでは多少あるけど、綿の長袖ホントにない。

と、思っていたけどメンズならあるのかもしれない。昨今のオーバーサイズブームで、メンズも視野に入ってきたから、今度はメンズでも探してみよう。

自分にできることできないこと」を分けて考えること。

本が出たから、たくさんの人に手に持ってもらいたいと思って。知ってもらうための努力はするけど、売れるか売れないかはわからない。人が欲しくなるか/欲しくならないかは、もう決まっているというか。私のどうこうできることではないんだなぁと思う。中身はもう変えられないし。そこにたどり着いてもらうための努力しかできない。

物を売った経験がなかったから、こういうことをあまり考えたことがなかった。

自分に引き寄せて考えすぎちゃだめ、 というのは子育てでもあった。

子供がある程度の年齢まで子に対する自分の影響力が0ぐらいあったと思う。で、小学校の間くらいはそれを引きずっていたと思ういろんな経験をやってみたら?とか、こうしたら?とか。何かをやらないことで、子どもの可能性に気づけないのでは?みたいな気持ちになっていた。

で、まぁ子どもも大きくなり。水場に連れていくことはできても、水を飲ますことはできない。と知る。なんなら、水場に連れていくことさえできない。水が飲みたくないことだって当然あるし。

ここで、自分の影響力をいつまでもとっておきたい、となるといろいろ不幸になるんだろうな。

#20220916

誰かと話をしている時に、その誰かが言った「あの人のここが嫌い」の一言。その嫌いポイントが自分にも当てはまるなと思った瞬間にひやっとなる経験は、誰でも少なかれあるんじゃないかと思う。私ももちろんある。

たとえば見た目。「センスが悪い」「ブスのくせに○○」とか「可愛くないのに○○」を聞くと。「ああ、わたしもこの人に、こいつの見た目だとこれはやってもOk。これはやるべきではないみたいなことを判断されているんだろうな」くらいは思う。予想外の格好で現れて一緒に歩きたくない気分にさせてあげましょか?とまでは思わないけど。

次に育ちがどうこう系。これを言ってくる人はだいたい無理。

ほかにもまあいろいろあるのかもしれないけど。結論として、誰かをジャッジするようことは人に話さない方がいいですね。

属性で雑にくくられて、あなたは違うけどって前書き付けながらジャッジを見せられて、「ああーこれはしんどいな」った思ったことは忘れないもの。「そうですよね。私は違いますからなんて」思えなかったから。

#20220915

文章のリハビリのために日記を続ける。音声入力のためにマイクを片手に持って、カラオケのようにこの文章を入れている。

そういえば日本に帰って。時間もあったのに、ソロカラに行けなかった。

行けなかった場所は他にもあって。焼肉にもラーメンにもうどんにも行けなかった。寿司もだ。

理由はあって。コロナがまだ落ち着いてないから、外食するの気が引けたことと。久々に帰った8月の日本の湿度が高すぎたこと。外歩くと疲れて、さらにご飯を食べる気がなくなっていたのもある。実際、日本から帰国したら体重が少し落ちてた。(でもイタリアに帰って普通の食事に戻ったら速攻戻ったけど。いつマッチョになれるんだろう?)

日本から帰って一週間たった。だいぶ時差ボケはなくなったけどまだなんだか落ち着かない。

日本の家とイタリアの家とどっちが現実なのかよく分からなくなる。ここ(イタリア)に居ると、10日程度とはいえ、日本に帰ったことがなかったことのような気になる。不思議だ。日本の実家でも、そこは30年間住んだ場所で。そこにいたときは、ずっとここにいてイタリアの生活なんかしていないような気持にもなっていた。

朝お茶を飲む近所の人がいる。

この人が自分の環境の変化について話しているのを聞いていると、「この人は、自分のことを話すのに躊躇がないよなあ」と感心する。自分の身の回りに起きた出来事を、私にいつも怒涛のように話す人なのだ。細かくいろんなことを説明してくれるのだけど、私の語学力ではとりこぼしが多く、理解できてはいないことも多い。でもこの人は気にしていない。病気の名前とか役職とかいろいろ。私はこの人のように自分のことを話ないていうか、警戒がデフォルトになっていて話せない

この人の情報量5に対して私は2くらいしか話してない。

この人が私について知っていることよりも、私がツイッターやインスタグラムに書いてることの方が多いんじゃないかなとすら思う。そう思うとSNSって変なものだな。ついでにSNSでこの人なんか不思議だな思ってる人、実際に会ってもその印象って大体当るの面白い。自分も誰かからそう思われているんだろうな。

cakesで書いてたもの、直したいなってなって、作業始めたら4コマが8コマに増えた。真ん中のが元のマンガ

#20220914

日本に10日とちょっとで行って帰ってきた。

本屋さん巡りという、新しい経験もあった。「本売れてほしいな」と思いながら色紙を書いて、本屋さんに置かせてもらった。売れろ―。重版しろ―。祈り。

一人で本屋回るのすごく緊張して、変な汗をたくさんかいた。書店の人は、いい人ばかりだった。

今回の一番の目的だったコミティアにも参加できた。

本を初めて作った。マンガの原稿をネットで入稿して、当日その完成した本が自分のブースの机の下にあるの。すごい。

印刷会社とのやり取りも初めてだったけど、「これだけデータを見てくれて、ほんとにこの値段でいいんですか?」と思うほど満足度の高いものだった。印刷会社の人すごい。ありがとうございます。30冊刷って、2冊残った。2冊は自分用に取っておく。普段なかなか描き終わらない、創作漫画描ききったから嬉しい。

このままkindleにしようと思っていたんだけど。ついでにと思って、データを雑誌の編集部に送ったら「次が読みたいです!送ってください!」となるようなこともなく。淡々とした、ダメ出しメールをもらったので、直したくなったのだ

あと絵も。線の太さも、もう少し変えたい。ってこんなことやってたら終わらないから、できれば今月中に。遅くても10月中になんとかしたい。

コミティアの会場は蒸し暑かった。なかやまきんに君みたいな白タンクトップでうろつくわたし。

会場でたくさんネットでしか会ってなかった人たちに会えた。

コロナで3年ほど帰国できなかったから、多くの友だちとほんとにやっと会えたーという感じ。コロナもあるから、ほんの少しの人にしか会えなかったけど。それでも行けてよかった。

声をかけてくれた人や、わざわざブースまで来てくれた人もいて驚いた。いつも自分がネットで見ている人が自分を認識しているというのがすごく不思議だ。緊張して、言葉が多く挙動不審になった。普段、知ってる人にしか会わない生活をしているから、かなり情報が多かった。

お土産なんて悪しき習慣なくなれと思っていたけど、会いたい人がいるとお土産って買いたくなるのねと思いながらもみじ饅頭を配っていた。

今回タイミングが合わなかった人には来年会えるといいなぁ。

2022 0810


メールかいたよ。https://www.getrevue.co/profile/wadashinobu/issues/issue-864760


本が出た。バズった。山行った。


 久々のメールマガジンです。ファンボックスにいる人と、ここに登録してくれる人、重なってるのか、重なってないのか。よくわからないけど。

7月25日に本が出て。やっと少し落ち着いた。

宣伝とかエゴサとか、最初から順調ではなく。この本の制作に関わってくれた人とか、本が出て喜んでくれている人たちのためにも売ることが仕事だと思って、すごく頑張っている。

でもエゴサは向いてない。自分のことを誰かが知っていると思うと驚くし、自分の描いたものにこんな意見があるのか、、みたいなのまだ慣れない。よい反応だったら、飛び上がるほどうれしいけど、悪い反応だったらまぁ凹む。

というより、誰も読んでない・反応がないと思って好きなことを書いているのに、「読んでるよ」と言われるのが、まぁまぁ心臓に悪い。

物書きは覚悟を持て!とかネットで見るたびに、物書きになったつもりもないしな。って思う。

なんというか、私の人生はなりゆきだ。「目標がないと遠くにはいけない。」と、どこかで読んだ。そういう意味では目標がない。遠くに行けないと、自分を諦めているような気持になるときもある。

同世代の友だちは夢はアイドルと言っていた。それすごくわかる。概念としてのアイドル。ビヨンセになりたい。JLOでもいい。

できるだけ誰も傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。

以前、入っていたオンラインのマンガコースでは、「バズりましょう!」とすごく言われていた。

インターネットという、交通量の多い場所でいかに人の目を集めるかを実験し続けましょうということだった。反応がある方へ自分の感性をチューニングし続けましょうとも言われていた。そして、それがうまい人がいて、正直なところ「羨ましいなぁ」とも思っていた。できなかったから。

(でも、今思うのは、ネットでうけるようにうけるようにチューニングしていくことが、良いことかどうかはわからんなということだ。どうなるか、なりたいかの基準をネットでの反応の良いほうにするのってかなり大変だといことだ。)

・・・・・・・・・・

うまくバズれなかったこともあり、バズれカルチャーからも距離をとって。

2022年になってからは近い人がSNSを始めたこともあり、ネットで人と交流するのもそれまでの知り合い以外とはほぼやめて、オフィシャル運用と頭を切り替えた。


オフィシャル運用にしようと思った理由はもう一つあって。

SNSで知った人がつらい目にあっているのを見るたびに、「何かしなくては」となるんだけど、結局何もできない自分・・・ってなるのがしんどくなった。流れが速すぎて追えないのだ。勉強不足でもあるし。

ってこれも、言い訳だけど。要するにSNSに自分の感情を持っていかれることに疲れたのだ。自分のキャパを超える。


そして、バズることに意味がないとすら言われる2022年にバズった。前にも全く同じものを出していて、でも今回は反応が良かった。つけた文字が良かったんだろう。そのおかげで、本の宣伝ができた。

反応はもう追いきれなかったので見てないし。怖いまとめよけの魔除けと言われるamazonのリンクを貼った。

仕事のためにはいいことだし、ありがたいことなんだけど、フォロワーが増えるのって、よい面と悪い面があることを知った。経験してみないといろんなことが分からないな。

気の合いそうな人と、なんとなく出会える場所としてのSNSでなくなってしまったのが、ちょっと寂しい。

いや、仕事につかえよ‼そのためのSNSだろ!とももちろん思うんだけどね。なんというか、よく使っていた頃のnoteとか、twitterとか、わたしのとってはすごく牧歌的な場所だったのだ・・Kぽアイドルについて話すような。

この記事よかった。職業ワダシノブにはなりたくないけど、いろんな仕事でちょっとづつ搔き集めて生きていきたいものだ。できれば太く長く。これからどんどん年齢が上がると、職業ワダシノブにならないと、いけないんだろうなぁ。できること、なんだろうね


山行って帰ってきた。

午前中歩いて、午後は家でダラダラしていた。何もないけど(遅い)wifiはあった。山は空気がおいしいんだけど、生鮮食品がない。そこだけがいつもちょっと辛い。

大草原の小さな家にでてきたよろずやですか?っていう感じの品ぞろえで、葉物はない。レストランも肉かピザ。

いつもの生活って、物流とか店とかいろんな人に支えられてんだなって思う。ありがたいありがたい。


また、かきます。では。

ショートショート)リンのカバン

リンは苗字だ。名前はユーシー。シーが上がる。彼女のことはみんなリンと呼ぶ。ユーシーの正しい発音ができないし、覚えられないからだ。リンにとっては、子供の時からずっと名前を間違えて呼ばれていた、いちいち訂正することもない。

ネイリストとして仕事を始めて20年になる。最近また小さなネイルサロンをチェントロに開いた。彼女自身は今ではもう特定の客のネイルしか担当していない。普段は主にお店を回って、商品は足りているか、ネイリストはちゃんと仕事をしているかを監督するだけだ。

リンは自分がどう見えるかを大事にしてきた。特に若い頃は舐められがちだった。若い女でアジア人だと、軽く扱ってもいいとラベルづけされる。そんな悔しい思いを何度も繰り返していくうちに、彼女の好む服装は、迫力のあるものに変わっていった。絶対に舐められまいという気概が見た目に表れるようになった。

自分には力があるとこと、自分をブランディングすることに決めたのだ。ひと目でわかる高いカバンを雑に扱い、重い貴金属は欠かさない。そして、バレエ経験者らしく姿勢良くできるだけゆっくり歩く。

そんな努力を5年も続けているうちに、内面までも変わってきたような気がした。小鹿のようにおどおどしていたリンもいつのまにか、熊に擬態できるようになっていたのだ。擬態なのか、本当にそうなったのかはわからない。

しっかりした勤務態度を評価され、5年目には雇われではあるけど店のオーナーになることもできた。しかし、リンには雇われで止まる気持ちはさらさらなかった。自分の店を持ちたい。もっとお金を稼ぎたい。どうしたら可能になるのか?それをいつも考えていた。

「そんなにお金のことばかり、むなしくならないの?」と同い年のマチルダは言った。「私はお金も欲しいけど、幸せな家庭も欲しい」と言った彼女は同時期に入ったけどずっとただのネイリストのままだ。気楽に休みたいのとだと、ずっと言っていた。

そんなマチルダとリンだが意外に相性がよかった。お互いに自分のやりたいことがはっきりとわかっているから、意見を言っても「へーあんたはそう思うのね。おもしろ」と対立にならなかったのだ。

リンはそんなマチルダを新しくオープンする自分の店のマネージャーにしようとしたが、あっさり断られた。孫が生まれるのだそうだ。40代で孫。

リンがマチルダのスカウトに成功するのは3年後。


#20220604

イネスのサングラス

イネスは幸せだ。特に理由は無いけど。

自分は運がよく幸せだとずっと思っていた。微笑みながら起きる赤ちゃんのように幸せだ、とよく周りに語っていた。「そりゃ大変なこともあったけど、過ぎてしまえばね。」と屈託のない笑顔で。

しかし、「赤ちゃんが目覚める時の微笑みはただの筋肉反射じゃない」と、ネイリストのリンに言われたとき、何も言い返せなかった。微笑みだと思っていたものがただの反射行動。

それまで自分の幸せを疑ったことがなかったのに、その朝イネスは「自分はそんなに幸せではないのかもしれない」と考え始めた。幸せとは一体何なんだろう?自分が幸せであるという感覚が急になくなってしまったのだ。

急に水に落ちて、酸素がなくなって、息ができなくなったみたいに、当たり前にあった幸せがなくなった。息の仕方を忘れたみたいが。

そんな考えをしている間も爪の色はどんどん変わっていく。

子供はある程度大きくなって手を離れたし、夫との生活にも不満がない。給料だって働いた分だけもらえている。

ずっと、楽しく正しく生きてきたのに。正しく?何が正しいの?自分に何かが欠けているような気がする。学校に行き、仕事をし、恋をし、結婚し、子どもを育て、子どもは独立した。全部やっているのに、何もない。空っぽだ。

見守る対象であった子どもも夫も、いつの間にか自分の世界を幸せそうに生き。いる。イネスのことを必要としている人はどこにもいない。でも、だれかに必要とされなければ幸せになれないのだろうか?

私はずっと幸せだった。そう。それは間違いない。今日の朝までは。

そこでイネスは思い当たった。ネイルが終わったら、すべての予定をキャンセルして家に帰って、入浴し、ベッドに飛び込んだ。大丈夫、寝たら元に戻る。そうイネスは自分に言い聞かせてアイマスクを付けて寝た。

#20220601

シルバーナのクッション

「ねぇ。わたし、別のところに行きたいの。思う存分自分の力を試してみたいの。」と、シルバーナは夫のロベルトに話した。

子どもが生まれてから5年経った。もちろん子どもはかわいい。

でも、「もちろん子どもはかわいい、けど」と、前置きをしないと何も話せない環境にはうんざりだった。1人で自分の実力を思い切り使いたい。子どもが生まれる前はそうだったように。

子どもが幼稚園に入る前から、シルバーナはそんな風に思い始めた。

ホルモンの関係なのか、愛が減ったからなのか分からない。ただただ一人になりたいとシルバーナは思った。研究職として、家族の世話などせずそれに没頭したい。

そして、母親である自分のそんな感情はロベルトから受け入れられるものではないこともよくわかっていた。母になった人間にはそれはわがままだといわれるのだろう。

シルバーナは以前、同僚のイネスにだけ、この思いを打ち明けていた。何も考えずにただ自分と仕事のことだけ考えたい。誰の晩御飯の心配のない生活をしたい。イネスはシルバーナの気持ちをわかってくれる唯一の相手だった。

授乳で乳が張っていた時期は2歳までに終わった。動物として自分が子どもにできることはもうない。なのに、どうしてこの生活が続くのだろう。アメリカでは乳母をつけて子育ては外注するというのに、この国では母の手料理が称賛されている。そんなのもウンザリだった。

どんなに口角をあげて、自分をダマそうとしてもシルバーナは子育てより研究が好きなことに変わりはなかった。自分の能力を生かせる場所は家ではなく大学の研究室だった。

産んだことに後悔はしていない、ただ子育てに興味がもてないのだ。ロベルトは何度もそんなシルバーナを責めた。母親失格だと。そんなことは自分が一番わかっている。

そして彼女は家を出た。そこに後悔はない。ただ、十数年後に子どもが自分の研究室に入ってくるとは思っていなかった。それはまた別の話。


#20220528

アンナマリーアのスカーフ 

アンナマリーアの務める銀行の同僚たちは、どうやってアーリーリタイヤするか、そればかり話していた。

銀行員の給料はこの街の中では決して悪い方ではない、アンナマリーアも同僚のシルバーナもマッテオもRolexをつけているし、アウトレットは大好きだけどビーチでアフリカ人から偽物のグッチを買うことはない。自分の境遇には満足していている。それなのにいつも何かが足りないと思っているのはなぜだろう?と、よくアンナマリーアは考えた。


お金を扱う仕事につくと、「世の中にはいくらでもお金を持っている人がいる」ということを知ってしまう。

アンナマリーアの顧客にも不動産収入だけで生活しているひとたちが何人もいた。そして、彼らはいつもあつらえたカミーチャを着て、すぐわかるブランドのカバンをもっているくせに、例外なくみんなケチだった。

夏の家も冬の家もある生涯で一度も働く必要のなかった顧客の一人が、「働いて収入がない」からと、学校に払うお金はいつも最低額にしていると聞いた。そのときは「そんな手があるのか」と感心したが、それが一人だけじゃない、よくある手口だと知ると鼻白んだ。

「あんなにお金があるのに、なんであんなにケチなの?」お金があるからケチなのか、ケチだからお金があるのか。とはいえ、彼らの数世代つづくお金持ちなので、お金のあるケチな家に育ったからケチが身についているのなのだろうと、考えがまとまった。

アンナマリーアもそんな顧客等に影響されてかいつのまにかケチになっていた。

結婚する気も、子どもを持つ気もなかった。自分のことだけで精一杯なのに、これ以上はいらなかった、あとは老後に困らないだけあればいい。しかしその老後っていくらいるんだろう?

両親が離婚した上に早く死別していことは若いうちは彼女を寂しさで苦しめたが、介護の問題を友達が話し始めるようになる頃には、いなくてラッキーだと思えるようにもなった。

仕事がリモートになってからは、マッチングアプリにも手を出して適度に相手を見つけて楽しんでいた。しかし、深い関係は求めていなかった。あと2-30年くらい生きてそのうち死ぬんだなと、日曜の夜にワインを飲みながら思っていた。

それなのに、アンナマリーアはある日、田舎に一軒家を買ってしまった。貯めていた貯金をほぼ注ぎ込んでの購入だった。自分よりずっと古い家。自分が死んでもこの家は残るだろう。

周りのみんなは彼女のケチ振りを知っていたので驚いた。一番驚いたのは彼女自身だった。ワインを買いに行った途中でこの家を見かけたときに、どうしても欲しくなったのだ。何かが強烈に欲しくなる、そんな気持ちが自分にあったことに驚いた。

多分、後悔する。と思いながらも庭に何を植えようかと考えるのが楽しくて仕方ない。

サチコのサングラス

#20220523

本人の父とイタリア人の母を持つサチコは、イタリア語と日本語と英語が話せる。会話の能力と読み書きの能力は別で、日本語の読み書きはあまり得意ではない。

日本語を書く機会があるとお客である日本人観光客から「かわいい」と言われるのには閉口した。サチコにって文字は読めれば良いもので。その字が上手い、下手という感覚はなかった。

劣るものをかわいいというのかも知れない。と、「かわいい」と言われながらサチコは考えた。彼らにとって、文字が上手いというのは、バランスがいいということなのかもしれない。四角の中に文字を書くという訓練にはそんな目的があるのだろう。

日本で育っていないサチコにとって日本語の文字の習得は決して簡単ではなかった。大学時代に時間と労力をかけて文字を学んだという自負はある。「それをかわいいだと?」

と、仕事を始めてすぐの頃はカチンときたものだった。

アンナマリーアはサチコが怒っているのにすぐ気づく、数少ない人の一人だった。「いつも落ち着いていて、感情がわからない」と言われ続けるサチコにとっては貴重な相手だった。

しかし、以前はいつでもアペリに一緒に来てくれた彼女は変わってしまった。パンデミックで会えない間にアンナマリーアはマッチングアプリにはまり、デートで忙しくなっていたのだ。

サチコもそんなアンナマリーアに触発され、マッチングアプリをやってみたのだがうまくいかなかった。彼女の見た目を気に入ってメッセージを送ってくるのは、アジア系の女に過大な期待を抱いている面倒な男ばかりだった。

アジア系の自分はフェチの対象になるのだということを、サチコは思い出してげんなりした。見た目で自分を気に入るやつはバカばかり。若いころに散々嫌な目にあったのに。ほんと学習していない。というより、気の合う人を見つけることの大変さを、結婚というぬるま湯にしばらくいたせいですっかり忘れていたに気がついた。

も女も嫌だ。と、考えた結果。サチコは髪をブリーチして金髪になった。

次はタトゥだな、とサチコの改造計画は続く。


アメリの帽子

アメリはAmelia とよく聞き間違えられた。自分の名前の最後がLIで上がるのがフランス語っぽくて気にいっているのに、aをつけてイタリア風にされるのには、どうしても納得いかなかった。「Ameli。aがつかないAmeliと」と訂正するのだった。

同業者のサトコはいつもAmeliをAmeri と呼ぶ。RとLが区別できないのだ。そんな彼女と美術館で最後に会ったのは3年前だ。あの頃は毎週のようにお互いに観光客を引き連れて美術館の中や王宮の中ですれ違っていたのに。またねとすれ違ったまま会わなくなった各国語のガイド仲間たち。

アメリは「そのうち観光客が戻るだろう」と楽観的に過ごしていたが、半年が終わる頃には考えは変わった。

何か別の仕事はないだろうか?とLinkedInの職歴を適当に盛りながら更新する日々が始まった。適度に日焼けして、スーツを着たビジネスっぽい他人の華麗な履歴を見ながら「どこまで本当なんだろう?」とアメリは呟いた。

そういうアメリのCVも充分に盛ったものだった。中国語もスペイン語もフランス語もパーフェクトだ。実際のとこスペイン語は中学の第二外国で習ったきりだが、観光客とのやとりに困ったことはないのだからパーフェクトと言っていいだろう。

しかし、どれだけ多くの言葉が話せてもアメリに仕事のオファーはなかった。何ができるか自分でも分からなかった。

仕事はなくても家賃は払わなくてはいけない。階下に住む大家はパンデミアの始まりには観光業のアメリに同情してくれたが、半年後には同情も無くなっていた。同情は同情、家賃は家賃だ。

10年以上楽しく働いていた結果がこれなのかとオンラインで残高を見ながら悲しくなった。あと3ヶ月は何とかなる。でもその後は?

それ以上は考えない。と、何度目かの決意を固めた。

その後、中国語でオンラインツアーを始めてweiboで彼女のミームが流れるようになることはまだ知らない。

マッダレーナのサンダル

#20220519

「7㎝以下のヒールの靴は履かない女になる」と12歳のマッダレーナは決めた。憧れていたNYのバレリーナが「7cm以上のヒールのある靴の方が楽なの」と、アーチ型に曲がった足の裏の写真の載った、VOGUEのインタビューで語っていたのを見たからだ。

バレリーナだった母と女の子はフェミニンにして欲しいと思っていた父は、3歳になったマッダレーナを歴史のある大きなバレエ教室に入れた。

マッダレーナは自分がバレエが好きだったのかどうかよくわからない。好きとか嫌いを考える前に、バレエは彼女の生活の一部になっていたのだ。歯磨きに好き嫌いを考えないように、マッダレーナにとってバレエがそれだった。

小学校、高校、中学と年齢をが上がるにつれてバレエ仲間はどんどん減っていった。バレエ教師は、体重が増えたもの、やる気のないものはやめてもらうと、毎年9月のコースが始まる前に宣言していた。

15歳のマッダレーナは自分もいつか辞めるのだろうか?と考えてみたが、辞める理由は思いつかなかった。ありがたいことに、いくら食べても太らなかったし、練習は辛ければ辛いほど自分が特別になれる気がして好きだった。

高校のクラスメイトのアメリから、「バレエは本当にやりたいことなの?」と一度聞かれたことがある。「本当にやりたいこと?そんなものが必要なの?」とマッダレーナは思った。やりたいことなんてなにも思いつかなかった。

バレエのレッスンが毎日14時半から始まるマッダレーナは、アメリたちと学校帰りの寄り道をしたことがなかった。13時半に高校が終わると、自転車で家に帰り野菜と鶏肉、全粒粉のパンを食べてバレエに行く。

その日もいつもと同じような一日だった。いつもと少し違うのは前日雨が降ったことだった。


自転車で昨日の雨のせいでできた大きな水たまりを避けようとしたマッダレーナは見逃していた路面電車の線路の上でツルッと滑った。

幸い大きな怪我はなく、自転車も壊れなかった。

自転車を起こしながらマッダレーナは自分がバレエに全く興味がないことを発見した。好きでも嫌いでもない。


マッダレーナは家に帰るのをやめアメリとジェラートを食べに行った。その夜「バレエをやめる」と母と父に伝えた。バレエ教室の月謝を払わなくていいなら、旅行に行こうと母は言った。

その後、マッダレーナは7㎝ヒールの靴を手に入れることはなかった。


マリアのジャケット 

20220518 

マリアは6年前にバールの権利を買った。元のオーナーはイタリア人の老人で「そういう時代だね」と何度も言った。中国人の経済力がついたのではなく、彼の息子がバールをやりたくないだけだと思ったが、何も言わなかった。 

その時からマリアのバールは「Bar 24(バール ヴェンティクアトロ)」から「Bar dei cinesi(中国人のバール)」と呼ばれるようになった。この国では中国人が経営する店はすべて「dei cinesi」と呼ばれるようになる。中国人のスーペルメルカート(スーパーマーケット)に中国人のネゴッツィオ(商店)。

バールは朝7時半から夜19時半まで営業していて、マリアは主に朝、妹のキアラが午後を担当していた。

マリアの子どもが小さかった頃に、そんな分担に落ち着いたのだった。その頃、キアラはまだ大学生だった。

マリアはジャケットが好きだ。肩に薄めのパッドが入った細身のジャケットをノースリーブのトップの上に着るのが彼女のスタイルだ。できれば、ジャケットの襟元は広めに空いてる方がいい。その方がマリアの胸元をキレイに見せることができる。

キアラは「飲食店で働くのにそんな気取った格好をして!」とマリアに告げたこともあったが、マリアは一切気にしなかった。服を汚すことは殆どなかったし、何より服が汚れたら新しい服を買う口実ができる。

高くないが、高く見える掘り出し物をメルカート(市場)で見つける能力があることがマリアの自慢だった。実際、彼女が手に取るものは彼女にしか似合わない独特の輝きがあった。

「あなたは、自分のことだけは本当によくわかっているのね」とマッダレーナは言った。「あなたにしか似合わない服を選ぶのが本当に上手い」と、マッダレーナの店のセール品の中からでも、似合う商品を魔法のように見つけるマリヲを褒めた。

「バールがもっとうまくいったら、ここじゃなく、モンテナポレーネ通りで買い物するからね!」とマリアはビニール袋に入った服と20ユーロ札を交換しながら言った。「私だってそうするわよ」とマッダレーナはウインクしながら答えた。

マッダレーナはマリアが実はバールを3軒経営し、4軒目のオープンを計画していることはもちろんしらない。

マルゲリータのズボン 

マルゲリータは毎朝8時15分に会社の下のバールでエスプレッソを飲むことにしていた。エスプレッソ ドッピオ ボッレンテ(ダブルのエスプレッソを熱々で)。それが、彼女が言わなくてもバリスタのマリアによって準備されるようになるまでには3ヶ月もかからなかった。

マルゲが家を出るのは毎朝きっかり8時。そこから歩いて10分のところに今勤めている会社がある。

着るのはいつもストライプのカミーチャ。40代になったときに体型に合わせたものを色違いで5枚まとめて作った。どれもストライプで、毎日それを着ている。下は黒いパンツ。これも3本同じものを持っている。靴は夏はバレリーナで冬はショートブーツ。ピアスはいつも同じエメラルド。

マリアはいつも同じ格好のマルゲを間違えなくていいと笑った。

ある日、マルゲはいつもの黒いパンツを履こうと思ったが、ふと手が止まった。クローゼットの隣にかけてあったデニムに目が止まったのだ。

「そういえば、もう何年もデニムを履いてないな」と思いながらマルゲはデニムを取り出した。

「もう入らないかもしれない」と一瞬思ったが「体重は変わっていない。」と確かめるように、デニムを広げた。

デニムにはアイロンがかかっていた。母には何にでもアイロンを掛ける癖があった。家に来るたびに頼んでいないのに、洗濯と掃除をしアイロンを掛けて帰る母だった。

マルゲもアイロンはかけるが、さすがにデニムにはアイロンをかけない。しかし、母はシーツだけでなくタオルにも靴下にもアイロンを掛けていた。アイロンの掛かったデニムは老人のそれのようだった。

息を止めてウエストのボタンを閉めようとした。が、ウエストは思った以上にきつかった。体重は変わっていなかったが、体型は変わっていた。

それでもなんとかボタンを閉じることはできた。「デニムのボタンってこんなに固かった?」という驚きは、どれだけ自分がデニムを履いていかなったんだろうという思いへとつながった。

最後にデニムを履いたのは母が生きていた頃だった。このデニムを履けなかったのは、「デニムにかかったアイロン」に、母を感じたからだった。それが消えたら、母の痕跡が無くなりそうと思って履けなかったのだ。

そのこと自体を忘れていた自分に驚いた。

今日はデニムで行こう、そして新しい服を買いに行こう。と、マルゲは思いながら家を出た。バールについたのは8時18分だった。


#20220124

よく、「可愛いおばあちゃんになりたい。」とは聞くけど、誰も「可愛いおばさんになりたい」とは言わない。

正直なところ、「可愛いおばさんになりたい!」は、結構微妙。おばさん本人が言っても微妙だし、若い女性が言っても微妙。なんでだろうとか考える

広辞苑によると

「可愛い」

①いたわしい。ふびんだ。

②愛すべきである。深い愛情を感じる

③小さくて美しい。

どれも一般的なおばさんの形容としてピンとこない。もちろん、背が低かったり、容姿が可愛いタイプの人はおばさんでも可愛いの見た目になる。(私はそっちではない)。

①は論外だし、年齢があがるとどうしても体型がずんぐりしてくるから③にも当てはまらない。とすると、残りは②だ。「愛すべき」である。愛すべきおばさん。可愛い愛すべきおばさんになりたい。か?

なんだか良さげに聞こえるが、それになりたいか?と聞かれると。別になりたくない。可愛いおばさんよりかっこいいおばさんになりたい。なんならかっこいいおばあさんになりたい。

若い女時代というのは、それだけで空気のように全ての人から全方位の可愛さを求められる。なんというか、若い女というのは愛想がよくて当然と思われていて。愛想良くすれば疲れるし、やらなくてもできなくても期待されてる分だけ消耗する。してた。

おばさんになって思うのは、「可愛いは最強、可愛いは作れる。だから、あなたもできる」みたいな誰かからの可愛い評価を求めるより、「あー、私はほんとーにいつも可愛いなー」と自分を可愛がるほうが100倍大事だ。「可愛いおばさん」ではなくて、「私が可愛い」だ。それがわかるまですごく時間がかかったけど。愛されるよりも愛したい。

可愛いおばさんではなく、自分が可愛くて仕方ないカッコイイおばさん目指して。誕生日おめでとうわたし。45歳だって。立派に中年でおばさんだ。

カッコいいおばさんは、記念日には寄付もする。私自身1人親家庭育ちなのでこちらに寄付しています。よかったら。

https://www.gnjp.org/work/domestic/gohan/

https://www.amazon.co.jp/b?ie=UTF8&node=8459883051

#20220122

学生の頃、映画の授業を受けた。小津作品だったか、昭和の名作の素晴らしさを先生が語り、そのあと質問コーナーがあった。

その頃の私は、どんな場所でも、今でいう爪痕を残したいというか、何でも自分の意見を表明するべきだと思っていた。あの学校の男性の先生(とはいえ、先生男性しかいなかった)から一番嫌われる「醜い小うるさい女」だった。

「この時代の女性の生き方は不自由すぎる」そんなことを私は言った。そして、もちろん先生からは反論された。「君は何もわかっていない!この時代(戦後すぐ)の女性たちは強く、そして自由だ。」

その勢いに、議論に慣れていない私は圧されて黙ってしまった。その後もしばらく、先生はいかに女性が自由かを語った。。公開説教のように、立たされる私と、熱弁をふるう先生。そしてそれを見て「お前は態度が生意気だから」とニヤニヤしている同級生たち。

経済力もなく、家族の都合で「嫁に出される」または「父やきょうだいの世話をする」その女性たちが自由だったのか?自由じゃないだろうと、今でも私は思う。

twitter で交わされる、フェミニストを執拗に叩く人たち。そしてそれをまとめてSNSでいいねと知名度を稼ぐ人たち。そういうの見ると、あのときを思い出す。「それはどうなの?」と言うだけで「お前は間違えている!」と叫ばれ続けたあの場所を。そして、それを面白がっていた彼らを。こういう経験を大なり小なり繰り返して、何も言えない20代の私が完成したなと、今振り返って思う。なんなら、彼らに同化した方が楽だなって。

現状を変えようとする人たちは、現状を変えたくない人に叩かれる。そして、未来は現状を変える人たちが作る。

未来は今より絶対ましにする。けど、そのための場所はSNSではないんだろうね。

#20220120

今日の予定

・マンガをテキストネームにする

・ラクレットについて考える(チーズ買う)

・グリザイユ画法試す

・手続き

お金の話を聞きに行く

今日の振り返り

・マンガをテキストネームにする

・ラクレットについて考える(チーズ買う)→明日描く。パンとチーズはやばい

・グリザイユ画法試す

・手続き→IDカード忘れてまた明日。でもこういう手続きが役所に行かなくてもできるのすごくいいな

お金の話を聞きに行く→明日だった

・google site内でリンクが貼れるようになった。これはどこかにまとめること

#20220119


1月も終わろうかと言うのに2021って書いてしまう。いつ頃から2022に慣れるんだろう、三月?

今年の目標というか、やることが決まった。

HPに載せるパーソナルワークの完成度をあげる

いつも描いている落書の完成度をあげること。いつも結構、雑なことろで終わらせて、すぐにTwitterにのせて満足しているんだけど、それとは別に。完成度の高いものを2週間に1枚くらいのペースで作ること。

https://twitter.com/shinoburun/status/1483812283780321283


#20220118

夫がインスタで流れてきた写真を見せてきた。浴室内の女のシャンプーが5本で、男は1本、これが男女差だ笑! みたいな写真。

女に向けられるキレイであれという圧が強いからこんなことになるんだよ」、と全然笑わずに返した。

20代前半から30代の間、女ごっこをしていた。

女ごっことは何か?というと、若い女であるなら女であることを利用しなくてはいけないという、波に乗ったのだ。

学生の間は女でも男でもない、というのが通用していた。とはいえ、近年セクハラで先生が捕まったくらいの男が大事な美術系の学校だった。一度、昭和の映画は女性観がしんどいと言ったら、先生にばちばちに詰められて、周りの男子はニヤニヤしてたな。)

学校という場所から出た途端に「お前は若い女だぞ」というのを突き付けられた。女に擬態しなければ、人としても扱ってもらえない場所があることを知った。いや、まぁもう20年前だから、今はそんな場所なくなっていると思うけど。だから女ごっこを始めた。女に擬態するのが女ごっこ。

女っぽい服を着てメイクをする。大体日本の駅で売っている女っぽい服というのは、サイズが小さく細い。サイズ感が30代までだ。その年代しか相手にしていない商品を手にとる。マーケットにうまくハマる俺。

そんな女ごっこは、新鮮で楽しかった。きれいになるのも楽しかった。ノーメイク・古着の学生時代を経て、化粧品も女子っぽい服も全部その女ごっこ時代に買った。

私には芯がないので、「そんな服を着るのは絶対嫌だ!」とも思わず「大人になるとはそういうものだ」と受け入れていた。流されてばかりだ見た目が女に変わるだけで、人の態度が変わるのも面白かった。

会社と言うものに行くにはちゃんとした格好をしなくてはいけない。そのちゃんとした格好の中にヒールの靴とか、黒いズボンもセット。ファンデーションもアイシャドウもマスカラも入っていたのだ。スカートは寒いからすぐ止めたけど人生で一番見た目にお金を使って、髪が長かったあの頃。

その頃の自分を否定する気ない。

言えるのは「私はずっと好きなものが変わらない」という一貫したスタイルを持つかっこいい人でなかったということだ。

それに、女ごっこで学んだこともある。外国製のブラジャーで上がった胸もそんなにはもたないとか。若い女っていうだけで、こんなになめられるんだとか。好意を向けられる=モテだと思ってたけど、好きじゃない人の好意って案外しんどいな、とか。

今の私は女ごっこをしていない。飽きたから。

また一周して十代の頃に好きだった感じに戻ってきた。正直、見た目はどうでもいい。清潔であればいい。私に取って大事なのは気分が上がることと楽であることだ。女ごっこは楽から遠いので、日常ではなくなり、たまにやるから楽しいものになった。

たまにだから加減が分からなくて、使えない派手な服を買いそうになるのもまた10代の頃みたいだ。

人は大人になっても行ったり来たりするんだな。

#20220118

水を1日に2L飲むことにした。

以前は水差し(カラフ?)を机においていたんだけど、あまり飲んでいなかった。そこで、この500mlが入るジャム瓶を2つに水を入れて机に置くことにした。ついでに一つ飲みきったら正の字でカウント。

メリット)見た目で減りがわかるから、続けやすい。

デメリット)トイレ近い。

#20220116

コートいつ買う

コートをいつ買うか

ラジオ更新しました。

何かを作ったら、SNSに出すのオススメしている。

もちろん、嫌なことを言われたくないけど。そんなひどいことばかりではないよ。作品はどんどん出すことをおすすめ。

#20220115

買い物がキャッシュレスになって。本当に現金を使うことがなくなりました。現金を使うのはバールでコーヒー飲む時、市場で野菜買う、家庭教師への謝礼の3つくらいかな。その中の市場もアプリでお金を払えるとことが増えたので、お金持ってると緊張する。

ただでさえ、スリが怖いのに。ボーッとしている自覚があるから財布にお金が入ってると怖い。2万円も入っているともうドキドキして無理。心臓に悪い。

お金ってなんだろうね。

#20220111 

うちの近所にある大きな公園を毎日毎日歩いている。行って帰って大体7000〜8000歩。遠くに見えるのはアルプス山脈。

在宅勤務だから、動かないと怖いなぁと思っていて。いろんな本を読んだり勝間和代さんのYouTubeを見れば見るほど動け!と言われている。動かないと。

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森林浴の研究によれば、短時間でも森林に入るとストレスが和らぎ、心拍数や血圧が下がるという。日本だけじゃない。ミシガン大学の2008年の研究でも、市街地を歩いた人より公園を歩いた人のほうが、認知テストの成績が20%高かった。つまり、ほんの少し自然にふれるだけで大いに心が落ち着き、頭が冴えるのだ。いったいなぜだろう?これをいちばんわかりやすく説明したのが、カル・ニューポートの『大事なことに集中する』(ダイヤモンド社)の一節だ。「自然を歩くときは、注意をどこかに集中させる必要がない。行く手を阻む障壁(混雑した交差点など)がほとんどないし、興味深い刺激で頭が適度にいっぱいになるから、積極的にどこかに注意を向けようとしなくなる。この状態が、集中力の回復を助けるのだ」つまり、森林浴は脳のバッテリーを充電する。僕らの狩猟採集民としての本能に訴える何かがあるのかもしれない。

ジェイク・ナップ,ジョン・ゼラツキー. 時間術大全人生が本当に変わる「87の時間ワザ」 (Japanese Edition) (p.258). Kindle 版.

本当にこれ。最初は街を歩いていたんだけど。街より、公園の中を歩いた方が気持ちがいい。ノイズが少ないのかもしれない。

毎日1時間くらい歩いていると、歩かないと気持ちが悪いというか。なんかやり忘れたような気持ちになるから不思議で。だから続いている。

2021年に愛用したもの

2021年にこれ無しでは過ごせなかっているものを紹介。ヘビーローテーションで使ってるものだけ。

スマートウォッチ

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多分もう2−3年つけてるけど、もうこれ無しで生活できない。メーカーはなんでもて、よく小さいものが好き。このまま眠っても気にならないブレスレットサイズ。歩数計と座りすぎ防止と電話がなったことを教えてくれる機能があればなんでも。イタリアは街にも家にも時計ないし、携帯で見るより絶対こっちのほうがいい。スマホ見過ぎ予防にも時計いいよ。

ペンケース

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自立するタイプのペンケース。下の部分が凹んでおけるタイプ。机の上にこれで、出かける時もこれ。机スッキリ。中で絶対欠かせないのはぺんてる 筆タッチ サインペンのグレイと黒。


シルクのアイマスク

友達に勧められて使い始めたけど、これ無しではもう眠れない。安眠の友。安いものでも全然大丈夫。最高。

The Ordinay

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The Ordinary | Clinical Formulations with IntegrityThe Ordinary is an evolving collection of treatments offering

deciem.com

化粧品。「いや、化粧品にそんなお金かけるのはちょっと…」な人向け。パッケージもシンプルで好きなうえにお手頃価格。アンチエイジングになると倍料金みたいな、ビジネスじゃないのが最高。ビタミンC塗ったら翌日驚きだった。男性にも良い感じのシンプルな見た目。


生理用パンツ

朝起きてシーツが全く汚れていない安心感が最高。夜用と昼用並べてつけてもなんか漏れていたのが全くなくなった。1枚買って洗いながら夜だけ使っているけど、2022は買い足して昼も使いたい。洗うのがめんどく、時期によっては乾きにくいのが難点。生理が始まったお子さん全員に配りたいレベルで良い。

こんな感じで今年はnote もやって行きます。

今日の更新。

チョコラータカルダという溶かしたチョコレート状の甘い飲み物をみんな飲んで。冬はダイエットしたら、ダメだって。

https://italianity.jp/lifestyle/food/choccolata-calda


寒い冬のドルチェはこれ!チョコラータカルダのおすすめ 北イタリアのトリノはチョコレートが有名な街です。そして、寒い時期のチョコレートといえば何と言ってもチョコラータカルダ(ホッ italianity.jp

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— ワダシノブ/イラスト・マンガ (@shinoburun) January 11, 2022


#20221209

12月8日はImmacolata Concezione(無原罪の御宿り)という、キリスト教の祝日だった。それが木曜日だったから、学校は金曜日はポンテ(橋)と言われる連休になり、四連休だった。

せっかくの4連休だから。ちょっと旅行をと思って、ホテルや美術館を予約しておいたんだけど。体調が悪くなり、すべての予定がキャンセルになった。

会いたい人もいたんだけど、まぁ熱が出たら仕方ない。

旅行に行けなかったのは、まあまあ残念だったんだけど、二日目の今日は、なんかそれはそれでよかった気になってきた。

昨日は一日何もしないで過ごし、今日は今年を振り返っていた。そして、今の私には、この休みが必要だったのかもしれないな、という気持ちになっている。あ、昨日はリュックを持っていって、8本サツマイモを買った。(サツマイモは中国系の店にしかない。白菜はちょうど良いのがなかった、残念)

もちろん。仕事はあったりするから、今日はちょこちょこやっているんだけど。それ以上に、こういう、予定のない自分と向き合う時間が必要だったのかなという気持ちになっている。

このところ、今年を振り返ろうとしていた。もっといい方向に向かいたいなぁと思って、インスタでこの人素敵だなと思う人をフォローしていると、いつの間にかファッション指南の皮をかぶった自己啓発ばかりになっていた。

すぐに、個人コンサルがでてくる。これはヤバイ。